2007年10月31日

長谷川裕一1



「「働く」とは本来、「はたをラクにすること」であり、「しあわせ」とはお互いに「仕え合う」ことです。人のため、家族のため、地域社会のため、世界のために働くことが、自らのしあわせにもつながるのです」


「プロフィール」

長谷川裕一(昭和15年福岡・はせがわ創業者)

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長谷川裕一2



「「気軽に人と向き合うこと、といわれても、なかなか初対面の人に対して、気軽になれるものじゃない」という人もいるでしょう。 では、私はなぜ、誰に対しても「気軽」になれるのか。 それは、こんなことを言ったらアホだと思われるとか、恥をかく、という考えがまったくないからです。むしろアホと思われていい。 相手が自分の上位に立てばいいと思っている。そう思っているから気軽なんです」


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長谷川裕一3



「人間、他人に自分をよく見てもらおうとか、自分の立派さを伝えたい、という思いが先に立つと、すくんでしまうのです。 逆に、相手が自分の上位に立ってくだされば、ラクです。(略)相手を上位に立たせるというのは、自分を卑下することではありません。 どんな時でも、どうしたら相手に喜んでもらえるか、心地よいと思ってもらえるか、何かお役に立てないかと考えて、自分を飾らない、ということです。 自分を飾らないから、どんな人とでも気軽に接することができるし、相手もオープンに心を開いてくれるのです」


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長谷川裕一4



「自分が気がついていない欠点は直しようがありませんが、いったん自覚が生まれれば、改善のチャンスがあるわけです。 大事なのは、人に注意された時に、それを素直に受け入れるということです。 人間はえてして、自分の欠点や短所には無自覚でいながら、人の悪いところは目につきやすいものです。 自分が気がついていないことでも、人が気がついていることは多いのです。 だから、たとえ耳が痛いことであっても、自分はそんなつもりはないと思っていても、人の言葉を素直に受け入れる。人を鏡として自分を振り返ってみる。それができるかどうかに、その人の成長がかかっているのです」


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「遠慮は往復 謙虚は片道」


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「誰かと出会い、誰かと語り、誰かと笑う。私たちは毎日、人と人とのつながりの中で生きています。すべての人は学びの師であり、またある時はお客様です。いたるところに潜んでいる新しい出会いをつくり出すのは、自分から声をかける積極性、明るい笑顔です」


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「どんな分野であれ、物事に成功するには、「これではいけない」と、今の自分に危機感を持つことから始まります。現状から脱し、より高いところを求めようと、「発心」することが大切なのです」


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「私の頭の中には、自分の思い描いた(略)将来像が完璧なイメージとしてあったのです。将来の目的をはっきりとビジュライズし、口に出して宣言し、それに向かって命がけで努力するという決意に燃えていたのです。 有言実行、事実はあとからついてくる。それが私の信念でした」


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「普通、掃除をする時にはゴミを外へ掃き出すものですが、父は外のゴミを内に掃き込んでくるのです。そして店の一番奥に集めたゴミに手を合わせてから始末していました。 なぜ、そんなことをするのかというと、一つには、店内に塵や埃が増えるのはお客様が来て繁盛しているからこそ、という考えがあるのですね。お客様が来なかったらゴミも出ない。つまり、ゴミを掃き出すことは、お客様も繁盛も掃き出してしまうことにつながると。 二つ目は、掃き出そうとすると外へ出すという気持ちがあるから、箒の先が立って埃が舞い上がる。それがそのまま降りてきて、店内の棚や商品の上にうっすらとたまってしまう。逆にゴミを掃き込むと、自分の家に入れるという気持ちで静かにやるから埃も立たない。だから掃き込んだほうが汚れないわけです。 そして三つ目は、ゴミを掃き出しているところにたまたまお客様がいらっしゃったら感じが悪い。 箒の使い方ひとつ取っても、こういう気配りをしていた父の姿を見ていて、「掃き込む」ことは人生そのものだな、ということを自然に教えられました」


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「トイレ掃除というのは、汚い臭いというイメージだし、目立たない地味な仕事で、嫌がる人が多いでしょう。 でも、トイレ掃除をするということは、一番汚いところ、一番下から物事を見ることになる。そうすることですべてが輝いて見えるのです。そして最も汚いところをピカピカに磨き上げることによって、すべてに対していい加減でなくなる。人の気持ちを思いやり、相手を理解できるようになります。 ただ、人に言われて嫌々やらされているのではダメ。自らの意志で取り組み、続けてこそ、工夫が生まれ、自分自身の成長にもつながるのです」


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